生活科学について

「看護」学ぶ前に「生活」を体験的に学ぶ。

生活科学を学ぶ、学生のための「ワークノート」と、教員のための「ガイドブック」。

看護の学びに役立つ一般教育科目や普遍科目。

今までになかった画期的な授業の導入をこの2冊がサポートします。

◐授業で「生活」を学ぶのはなぜ?

生活を体系的にイメージし、体験で検証する

 授業や実習で学生は患者さんの生活を想像しながら看護課題を抽出し看護目標を立てます。一方、その学生当人の生活となると、大事なときにうっかり体調を崩してしまったり、不調からなかなか快復しなかったりする姿を目にします。ダイエットや趣味のスポーツなど自分の関心が向く事柄について情報を取り入れることはあっても、生活の仕方と健康とがどんなつながりをもっているのかについては看護学生といえどもよくわかっていないようです。

「生活科学」の授業を開発した宮崎県立看護大学の小河一敏氏の気がかりもここにありました。

 本来であれば、健康を障害された患者さんの生活をとらえるには、少なくとも健康とは何か、生活とは何か、生活はどこにどう位置づけられているものなのかをおおよそイメージできていることは看護実践の前提です。

 しかし、いわゆる生活の知恵として家庭の中で健康的な行動習慣のあれこれが伝えられていたひと昔前とは違って、衛生環境も医療も向上し物質的にも満たされている現代は、かえって健康的に生活を営む術を体験的につかむ機会がありません。また学校教育で生活が取り上げられるのは生活科の授業のほかには生活指導の場面がある程度で、学問の対象として生活を体系的に学ぶ経験はほとんどありません。

 生活という言葉はよく使うけれどもそれが何であるのかを学生がとらえきれていないのは、こうした時代背景にも理由があります。

 そうであれば、今の学生たちには生活を主体的・体系的に学ぶ機会がぜひとも必要です。

 「生活科学」の授業は、学生が「生活とはこういう構造だったのか。だから、こうすれば健康につながるのか」と実感をもって理解していけるように工夫されています。授業が進むにつれて学生の生活が目に見えて変化してくるのは、当人にとっても驚きの学びの体験となります。

◐『看護覚え書』を読むのはなぜ?

生活の中に健康の法則性をとらえる

 「生活科学」の授業ではナイチンゲールの『看護覚え書』を自分の生活場面に当てはめながら学んでいきます。『看護覚え書』は生活の全体像を学生がとらえていくうえで最適な手がかりとなります。

 それにしても、看護学生が読むべき古典であるとはいえ、はたして現代の学生に160年も前の本がどんな役に立つのでしょうか。もちろん『看護覚え書』に最新の知見や情報が並んでいるわけではありません。

 けれども、私たちはここにナイチンゲールが記した数々の法則性を読みとることができます。
 ナイチンゲールが何を見て、どんな根拠をもってそこに法則性を見出していったのか。学生たちに自分の生活場面に当てはめながらナイチンゲールの思考をたどってみることを促していくと、学生は次第に『看護覚え書』に記された個々の情報の真偽や新旧以上に、人間が生きているということの中にある法則性のほうに目を向けることができるようになります。

 学生のアタマをそこへ導くことができれば、『看護覚え書』は時代遅れで難しいという先入観や抵抗感が消えて、むしろ『看護覚え書』から科学的な思考の筋道を学びとろうとする姿勢がでてきます。

 「生活科学」の授業は学生にこの本物の学びの醍醐味を味わわせる工夫を随所に用意しています。

 一つは『看護覚え書』を読み進める順番です。

 さすがに19世紀の古典に学生がウォームアップなしに挑むのは困難です。そこでまず本の最後にある補章「赤ん坊の世話」から読み始め、第1章の「換気と保温」に戻って、以後指示された各章を読んでいき、学生のアタマに生活の全体像がおぼろげながら描きだされてくる授業後半に入ってからようやく「序章」を読みます。この順序で読んでいくと手強そうに見えた序章がすんなり理解できるようになります。

ワークノートの中身にも工夫があります。

 ワークノートには学生の思考に働きかける「なぜ?」や「~とは何か?」を問う設問が並んでいます。これらの問いに対して学生同士で議論しながらいわば思考の訓練を重ねていくと、学生のアタマに生活の立体像が描かれ、それを全員で共有できるところにまで到達します。同時に、それぞれが描く生活像はそれぞれに違う様相を示していることや、常に変化しているということまで理解できるようになるのです。

◐健康を創造・実践できるようになるのはなぜ?

「考える・書く・討論する」で学びの方法を身につける

 社会に出てから求められる力は、それまでに学んできた知識や技術よりも、むしろ「応用力」です。一方、もし学生が受験勉強と同様の学習スタイルから抜け出せないままであったなら、応用力をつけることは期待できません。

 高校までの学習では1対1で問いに対応している正解を答案用紙にそっくり書き写せば済みました。正解は常に問題とセットで教えられるので、答えの丸暗記は有効な学習法でした。その学生たちに「これからは問いは自ら立て、その答えを自分で追求していくように」と説いても、学生はやり方すらわかりません。

 この10年間でアカデミックスキル、いわゆる自ら問いを立て論理的・科学的に考えていく“学びの作法”を入学初年度に履修させる大学が増えてきたのは、まず学び方から教える必要性を大学が強く認識し始めたことを意味しています。

 自分のアタマで考え抜く本当の学びの型を身につけることができれば、専門課程での吸収力も実践への応用力も格段にアップするでしょう。本物の学びには驚きや喜びもあります。その体験は自分の可能性を信じる自信の源泉となって一生の財産になります。

  看護学生のための教養科目として開発された「生活科学」はまさに本物の学びを体験できるユニークな授業です。学生たちは科学的に根拠をもって自身の生活を健康的につくりあげていきます。目を見張る変化には、学生本人も教員も驚きます。

 このような授業が実現できたのはナイチンゲールの思想を継承する宮崎県立看護大学という教育的土壌で看護学生のための教養科目を追求し続けた小河氏の情熱があったからですが、「生活科学ワークノート」と「ガイドブック」が形になった今、あらゆる大学や専門学校で「生活科学」の主体的な学びを同じように展開していただけるようになりました。

  2020年度は、宮崎県立看護大学のほか「生活科学」を初めて取り上げた複数の大学・看護専門学校で新型コロナウイルスを避けたオンライン授業が行われ、学生たちが画面上で活発にワークに取り組み、討議を重ねました。授業規模は40~100人と各校様々でしたが、基本的に学生は5~7人のグループとなってワークを進めていくので100人規模の授業も可能です。各校の事情に応じて教養科目あるいは専門科目として「生活科学」の授業が実施されています。

 「生活科学」は4パーツからなる全16回の授業で構成されていますが、小河氏は「ガイドブック」の中で、「授業の導入初年度は全16回の授業のうち例えば前半までを2倍の時間をかけて実施し手応えを確かめてみるという形をとっても十分な成果を期待できる」と提案しています。

 看護の視点ではなく、まずは生活者の視点で、人間の営み・生活・健康の全体像をイメージできるようにする「生活科学」の授業は、看護を学ぶ学生だけでなくケアを学ぶ様々な分野の学生にとっても有意義な学びの体験となるはずです。

ぜひ「生活科学」の授業実践に関するご質問やご意見をお寄せください。 

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